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ひぐらしのなく頃に 礼

  • Posted by: harusui
  • 2007年2月11日 00:00
  • game

higurasi_rei.jpg「えっ、ちょっそれ.........え?」

開始数分、画面を睨んだままプレイヤーがフリーズ。
初めて雛見沢に触れた「鬼隠し編」から、長い物語を経てようやく至った先日の「祭囃し編」までのめくるめく帰趨が脳裏を過ぎった。やっと、たどり着いたはずなのに...
まさに走馬灯。


完全に虚を突かれた。
本編終了後の外伝シナリオ。嵐のような6月を超えた彼らの甘い日々とちょっとしたイベント。登場人物だけでなく、プレイヤーである私達にも甘いプレゼント。
そんな予想だっただけに、この導入はフリーズせずにいられなかった。
とはいえこれは「ひぐらし」なんだし。「こうでなくては」ってのは確かにそうかもしれない。ものの見事に見透かされている。

「賽殺し編」はいい意味で完全に予想を裏切られてとても楽しめた。
本編の最終話として繰り入れても違和感がなく、そして示唆に富んだ内容だった。むしろ「祭囃し編」よりもそれとしてふさわしかったかもしれない。
冒頭の衝撃から現状の解明、選択肢と代償、迷いと決意。
プレイヤーを楽しませながらも淀みなく描かれる物語には練達の物書きに通じる迫力があった。褒めすぎか? でも私自身はそれくらいおもしろかった。
本編から演出されていた詩と梨花のワインがまさかこのタイミングであんなふうに着地するなんて想像だにしなかった。技ありすぎだ。
また、代償に「オヤシロさま伝説」の始まりをなぞらえたのも唸るものがあった。
なんともよく出来ている。

ところで、究極の選択について。
あれは果たして究極だったかというと違う気がする。
梨花と私達の異なる点は、作中の言葉を借りれば舞台の上にいるか下にいるかという違いだ。そして同じ点もある。つまり本編で語られた一連の出来事を共有していることだ。
さて、あれを知っている私達はあの選択肢においてどちらであって欲しいと考えたろうか。私はハナから、結果として梨花が選んだものを欲していた。他の多くのプレイヤーもきっと同じだろうと思う。本編を知っている以上、それ以外にないのだ。
そして本編を知っているという点においては梨花も同一だ。まして彼女は当事者だ。当事者だからこその迷いも描写されているが、逆にそれ故に結果は一つしかない。
選択肢の価値はハナから50:50ではないのだから、究極ではない。出来レースとさえ言える。
だから「代償」という負荷を与えてバランスを取ったのだろう。
あれは梨花には心を引き裂くような代償として、私達には倫理と常識の壁として機能した。おかげで私は表面的に選択を拒否した...orz
それでも奥底では結果は一つしかないと知っているところが嫌らしい。と、思わせる演出が嫌らしい。

そんなプレイヤーの心理をも逆手に取った結末の展開には素直に「参りました」と言わざるを得ない。しかも部活メンバーのフォロー付きだ。至れり尽くせりである。

なんにせよ、今度こそ終わったんだよね...。
寂しいことではあるけど、そう思えるのは満足感と同義でもある。
私達には終わりでも、彼らは彼らの生活を続けていく。きっと楽しかろう。
そういう夢想も、同様に楽しいことだ。

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