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CLANNAD

  • Posted by: harusui
  • 2007年1月13日 00:00
  • game

全体像としてのシステムはわかり易く評価しやすい構造をしている。
光の収集意味と発端を示され、各シナリオはそれぞれとしてだけでなく、全体としての意味があると知ったプレイヤーに作品の捉え方を変えさせるのはうまい。


そしてあのシンプルで何気ないメニュー画面の背景が作品の核心を含んでいて、なおかつゲームの進捗とリンクして変化し、最後にはきちんと形になるという演出には思わず唸るものがあった。
シナリオの途中、存在すら忘れた頃に突然流れ出すオープニングテーマの意外性と、そこに至る繋がりの意味も見事だ。でもオープニングテーマはむしろ、汐編の最後に流した方が劇的だったんじゃないかと思ったりもする。さすがに後ろすぎだろうが...。

とはいえ長い。各シナリオも長いし、全体としても異様に長い。AfterStory一週目なんかは三日もかかるとは思わなかった。二日目はいいところで中断せざるを得なくなってすごい損した気分だ。
初プレイからコンプまで一ヶ月以上かかったわけだが、最初の方にプレイしたシナリオなんかはもう覚えていない。そのシナリオが後々別のシナリオに絡んできて困惑したことも。明らかに感激するとか泣けたりするシーンなんだが、覚えてないのでまるで置き去りにされてるようだった。
本筋(渚編)に絡んでくる人物は風子くらいのもので、有体に言えば他の人物はいなくても大差ない。もちろんそれを全部削ると全くボリュームが足りないだろうから、何人かを絞って...要するに全体的な適量はもう少し低い位置にあったんじゃないかと個人的には感じた。

さて、「泣きたい」という私の購入動機は今回あまり満たされなかった。
いや発売年売上げ10万本らしいし、これがヒット作品であることは疑いない。「Kanon」あるいは「ONE」から積みあげた「Key」のブランド力もあったろうが、数字は「Clannad」を評価している。
でも私個人への訴求力はあまり強くなかった。風子編はツボったようで盛大に泣けたが、他は今ひとつだった。その風子編にしたってあの最後はないだろう...。というか、そこは震度家よ。
登場人物が多すぎなせいか、「AIR」や「Kanon」に見られた機微は行き届いていない。親子ではなかった晴子と観鈴が親子になってゆく様は自然で感動的だった。逆にそも家族である古河家などには取って付けたかのような不自然さを感じてしまった。愛情も責任も演出されていたはずだが、それが「親子」や「家族」を表現していたとは私には思えない。家族であるという「設定」に逃げたのか、頻出する「家族」という言葉に逃げたのか、あるいは単にそこまで追いつけなかっただけなのか。感動を呼ぶ土台であるだけにその不足は残念な部分だった。

AfterStoryで学園を飛び出し、「その後」を描いたのは思い切った判断で可能性を見せた。いやむしろこっちが本編か。だが逆にこれが私を現実に引き戻し、作品の荒さを浮き彫りにさせたとも言える。やるならちゃんとやれと。ん、いや、徹底してもっと端折るべきか。どっちがいいのか。
やたら長いが、シナリオに追われすぎて表面をなぞっただけという印象が強い。
ファンタジーの部分はこれでいいと思うんだ。ただ、このジャンルの定番である「極論に極論を掛け合わせて普遍に着地する」という構造を踏襲する以上、それを効果的に突き詰めるべき。半端な現実さはその色を褪せさせるよ。

あとやっぱ長い。

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